【熊谷6人殺害 検察が上告断念】https://t.co/ArpQFikC5Z— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) December 19, 2019
埼玉県熊谷市で6人が殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われたペルー国籍の被告(34)について、東京高検は上訴期限の19日、上告を断念した。被告に無期懲役より重い刑が科されることはなくなった。
こちらのニュースに関連して、「6人も殺して死刑じゃないのは納得いかない」といった意見や、「被害者の救済にならない」といった批判的なツイートを多く拝見しました。
弁護士の星氏は、こうした批判に対して、以下のように簡潔に反論されています。
この判断を批判するツイートが多い。— 弁護士 星 正秀 (@hoshimasahide) December 19, 2019
気持ちは分かるが、日本の刑法は明治維新以来、責任主義。
つまり、責任能力がなければ処罰出来ない。
本件は、限定責任能力なので、罪を一段下げる必要がある。
これを否定すると日本は前近代に戻ることになる。 https://t.co/BZT7uxBhRW
まさに仰る通りで、現代刑法学の基礎である責任主義という観点からすれば、さきほどの裁判所の判断に至らざるをえないのです。
とはいえ、「でもやはり納得いかない」「被害者の救済はどうするのか」といった疑問が残るのもわかります。
同様の議論は、今回の判決に限らず、同様の事件(裁判所が凶悪犯の責任能力を否定して無罪判決を出す等)でも起こるため、年に数度は目にすることがあります。
そこで今回は、「責任主義」という観点から、責任能力と刑罰との関係について、法学に接したことがない方でも解るように出来るだけ簡潔な説明を試みたいと思います。
なお、本稿の表題が不適切な表現であることは自覚しておりますが、少しでも多くの人に読んでいただければと思い、上表題としました。
そもそも「犯罪」とは何か?
本筋から離れているように感じるかもしれませんが、お付き合いください。
見出しのようにあらためて問われると、即答することは案外難しいのではないでしょうか。
見出しのようにあらためて問われると、即答することは案外難しいのではないでしょうか。
現在の刑法学の通説では、犯罪とは「構成要件に該当する違法で有責な行為」である、と解されています。
これではさっぱり解らないので、細かくみていきましょう。
構成要件該当性
まず、「構成要件」とは、犯罪のカタログともいわれる刑法典に書かれた「行為と結果」を発生させることです。
たとえば、殺人罪(刑法199条)の規定は、以下のようになっています。
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
殺人罪を構成する要件は、行為としての「人を殺すこと」であり、結果として「人の死」を発生させることだということになります。
このように、構成要件は行為と結果から成り立っていますが、このいずれもを充足することを「構成要件に該当する」というわけです。
違法性
さて、構成要件に該当する行為は、原則として、違法性が推認されます。
人を殺したらそりゃ警察に捕まって刑務所行きそうですもんね。
しかし、例外的に、構成要件に該当しても違法性がないと判断される場合があります(「違法性が阻却される」と表現します)。
イメージが湧きやすいのは、正当防衛(刑法36条)の場合です。
たとえば、ナイフを持っている男が急にあなたに向かって突進してきたとして、(何故か)ピストルを持っていたあなたがやむを得ずこの男を撃ち殺すようなパターンです。
細かい説明は省きますが、この場合、あなたは「人を殺そうとして(行為)」、「人を殺している(結果)」 わけですから、構成要件には該当します。
しかし、だからと言って殺人罪で重い罰を科せられるのはあまりにも不条理なため、違法性がなかったとして罰を与えないことにしているのです。
有責性
さて、ここからが本題です。
構成要件に該当し、違法性もあるにもかかわらず、罪を問うことができない場合もあるのです。
犯罪の定義で最後にあった、「有責な行為」とは認められない場合です。
まずは条文から確認しましょう。
刑法39条第1項 心神喪失者の行為は、罰しない。
同条第2項 心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。
例えば、Xが殺意をもってVの腹部を包丁で何度も刺突し、よってVを死亡させたが、Xは犯行当時心神喪失の状態にあったとしましょう。
Xの行為は、殺人罪の構成要件に該当し、違法性阻却事由もありません。
しかしXには犯行当時、心神喪失状態であったという責任阻却事由が存在するため、刑法39条の適用によって殺人罪が成立しないことになります。
このことを理解するためには、「責任主義」という考え方を理解する必要があります。
責任主義とは何か?
責任主義とは、構成要件に該当し違法な行為を行った者であっても、その者を非難できない場合には刑罰を科さない、という考え方です。
このことを指して、「責任なければ刑罰なし」という法諺があります。
このことを指して、「責任なければ刑罰なし」という法諺があります。
そもそも犯罪を行った人を非難できるのは、構成要件に該当しない行為を選択することもできたのに、あえて(故意)または不注意で(過失)、犯罪行為を行ったからです。
先ほどの例でいうと、XとしてはVを殺さないこともできたのに、あえて殺人という犯罪行為を行ったからこそ、刑罰を科するほどの強い非難に値するわけです。
しかし、心神喪失者の場合には、自己をコントロールできず他の方法を選択することができない状況であったことから、Xと同様の非難をすることはできません。
責任主義の現れとして、刑法は、14歳に満たない者の行為は罰しないこととしています(刑法41条)。
例えば、3歳の子供が万引きしたとしたらどうでしょうか。
この場合、この子の行為は窃盗罪(刑法235条)の構成要件に該当し、違法な行為ですが、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処することが妥当でしょうか?
3歳の幼児であれば違法性の意識というのはないでしょうから、当然、適法行為を期待することもできません。
したがって、行為についてその子を非難することができない以上、刑に処さないこととしているのです。
心神喪失・心神耗弱とは何か?
話を刑法39条に戻しましょう。
39条1項は心神喪失状態、同2項は心神耗弱状態の場合に行った罪を減免・減軽するとされています。
心神喪失状態とは、精神の障害により、弁識能力(物事の是非善悪を弁識する能力)または制御能力(その弁識に従って行動する能力)がない状態をいい、心神耗弱状態とは、精神の障害により、弁識能力または制御能力が著しく減退した状態をいいます。
精神の障害により弁識能力または制御能力が減退していても、それが著しい状態といえなければ、完全責任能力が認められるため、刑が軽減されることはありません。
判例によると、心神喪失・心神耗弱の判断は、病歴、犯行当時の病状、犯行前の生活態度、犯行の動機・態様、犯行後の行動、犯行以後の病状などを総合的に考慮するものとされています(最判昭53・3・24刑集32・2・408)。
そして、その判断は裁判所によって行われ、医師等の鑑定には拘束されないとされています(最判昭59・7・3刑集38・8・2783)。
どのくらい罪が軽くなるのか?
心神喪失状態と認められると、不可罰となり(39条1項)、どれほどの凶悪犯罪であっても、刑罰を科されることはありません。
心神耗弱状態であれば、刑が必ず減軽されます(同2項)。
罪の実行に着手してこれを遂げなかった者(未遂犯)に対しては刑を減軽することが「できる」(刑法43条)と、裁判官に裁量を認めているのに対し、心神耗弱者の罪は、必ず減軽しなければなりません。
ではどのくらい減軽されるのかというと、刑法68条に規定があります。
- 死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は10年以上の懲役若しくは禁錮とする。
- 無期の懲役又は禁錮を減軽するときは、7年以上の有期の懲役又は禁錮とする。
- 有期の懲役又は禁錮を減軽するときは、その長期及び短期の2分の1を減ずる。
- 罰金を減軽するときは、その多額及び寡額の2分の1を減ずる。
- 拘留を減軽するときは、その長期の2分の1を減ずる。
- 科料を減軽するときは、その多額の2分の1を減ずる。
要するに、半分になります。
個人的には、もっと段階的な減軽方法があって然るべきだと思っています。
個人的には、もっと段階的な減軽方法があって然るべきだと思っています。
今回の事件ではどうだったのか?
検察の求刑通りの死刑判決を下したさいたま地裁(平成30年3月9日)とは異なり、控訴審である東京高裁は前審を破棄して無期懲役判決を言い渡しました(令和元年12月5日)。
争点となったのはやはり被告人が心神喪失・耗弱状態にあったか否かで、地裁はこれを否定し、高裁は認めたということになります。
なお、判決文を確認できていないため、実際にどのような推認が行われたのかは定かではありませんが、おそらく弁護人の提出した医師による精神鑑定結果が証拠として重く用いられたのだと思います。
さて、ここで思い出していただきたいのは、心神耗弱による減軽が認められた場合、刑が半分になる、ということです。
高裁では犯行当時に被告人が心神耗弱であったことが認定され、その他の酌量事情があったことは認められていません(判決文未確認ですが、少なくとも報道されていません)。
つまり、心神耗弱による減軽がなければ、本来死刑になるべき罪状だったということです。
ネットでの反応をみると、永山基準を持ち出したり、外国人だから死刑にならなかった云々といった意見も散見されましたが、まったく違います。
死刑とならなかったのは、心神耗弱状態であったことのみを理由としています。
そして、これまでみてきたように、心神耗弱者の罪を減軽するのは、行為についての責任を問うことができないからです。
被告人の国籍や、更生の余地や、あまつさえ被害者の数は、今回の判断とは関係ありません。
被害者の感情を考慮すべきではないのか?
結論から言います。
被害者感情は、第一義的に考慮されることはありません。
刑事裁判は、犯罪被害者を救済するためのものではないからです。
刑事裁判の目的は、被告人が本当に罪を犯したかを明らかにし、事実ならば刑罰を科すことによって社会秩序を保つことにあります。
したがって、公正かつ適切な手続きによって裁判が行われたのか、また、刑罰という国家権力を行使することが適切な相手なのか、という審理に主眼が置かれます。
そのため、被害者の感情というのは量刑(懲役の長さなど)の考慮要素にこそなれ、それ自体で罪の成否を左右することは絶対にありません。
ここは、法律を学んだ人と、そうでない人との間で大きく考え方が異なる部分であり、だからこそ、裁判所の判断に納得できない人が多くいるんだと思います。
そもそも刑法の目的、刑罰の目的、刑事裁判の目的、という根本的な部分から、考え方が異なっているためです。
被害者の怒りはどこへ向かうべきなのか?
では、被害者の感情が一切救済されないのかといえば、そういうわけでもありません。
被害者としては、民事裁判を通じ、加害者に対して損害賠償や慰謝料の支払いを請求することが可能です。
当然、家族を失った悲しみを、怒りを、お金で解決できるわけではありません。
しかし、資本主義経済下にある日本においては、感情であってもお金で精算するほかないのです。
本件に対する反応と、それに対する意見
最後に、今回Twitterやネットの掲示板でみられた反応をいくつか紹介したうえ、私見を述べます。
・裁判員制度って意味ないよね。
:これは正直同意します。
・外国人だから見逃すのか?
:国籍は全く関係ありません。まっっっったく、です。
・国際問題に発展するのを危惧したのでは?
:もし、完全責任能力者が6人を殺した事件を政治的意図から黙殺したのであれば、かえって他の国からの信頼を失います。
・次の国政選挙で、裁判官の名簿には×をつけよう
:国民審査で審査対象となるのは最高裁裁判官なので、高裁の裁判官とは関係ありません。
・法律がおかしい
:責任主義の考えを貫かないと、3歳の子供であっても可罰となってしまいます。法律がおかしいのではなく、心神耗弱者をサポートできなかったところに問題があると思います。
・6人も殺して死刑以外はありえない
:人数は関係ありません。極端な話、責任能力があれば1人殺しても死刑になる可能性は十分ありますし、心神喪失者ならば100人殺しても不可罰です。繰り返しますが、責任を問えないからです。
・精神状態のせいで減軽されるのは納得いかない
:正直、僕も長々と書きましたが、説得力のある説明ができたとは思いません。感情が先行してしまいがちな問題なので、論理的に説明するのが難しいです。
・私たちも明日は被害者になるかもしれない
:どうやら意識を失っている間に人を殺めており、自分は何も覚えていないのに死刑を宣告されたらどうですか?責任主義というのは、「私たちもいつ加害者になるか分からない」からこそ大事な考え方なんです。
・ペルー人を追い出せ、オリンピックに出場させるな
:言ってること、ユダヤ人を排除したナチスと同じですよ。
・誰のための司法なのか
:誰のための「刑事裁判なのか」も考えてみて欲しいです。先に述べたように、刑事裁判というのは、被害者のためにあるのではありません。
以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました。







